桜宮日記

2007年4月に生まれた愛娘・K子の育児や、年下のダーリンとの結婚生活を中心に、日常を気ままに書いて行きたいと思います。2011年8月に家族が増えました♪

祖母のこと

1週間ほど前、母方の祖母が永眠しました。
98歳と言う大往生だったし、覚悟もしていたのでそれほど辛くはないのですが、それでも別れが悲しくないわけではなく。
気持ちの整理の為にぐだぐだと祖母の話や、母から聞いた話や、私の想像などを付けたしながら書いて行きますので、おもしろい話ではないと思います。
お暇な方だけ続きをお読みください。


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桜らいん




祖母には3人の娘と1人の息子がいます。
私から見ると、伯母、伯父、母、叔母の順となります。
8人の孫に恵まれ、その中で私は1番下でした。なので、自分としては1番可愛がってもらったのではないかと思っています。
ひ孫は12人。もうすぐ13人目が産まれます。

祖母の夫にあたる祖父の話を少し書きます。
私は会ったことがありません。母が小学校高学年の時に亡くなったそうです。
この祖父は、私が考えるに、かなり特殊と言うか不思議な人です。
某藩主の側近の直系の子孫と言うかなり良い家柄の人。学校の歴史で習うような、老中とか聞けば誰でもわかるような役職の人。
ただし、三男だったため、当時は長男継承が当たり前だったので何ももらえなかったとか。今でも、長男にあたる人の直系子孫は、九州某所にかなりの土地を所有しているそうですが、祖父が生きていた頃は交流があったものの、祖父が亡くなってからは交流が無いそうです。
50年以上昔の話なのでよくわかりませんが、嫁と姑の仲が悪かったのか、本家にとって分家などどうでも良いということでしょうか。
なんとなく、「うちの家柄にふさわしくないわ」みたいに、商家の娘の祖母のことが気に入らなかった、と言うほうがしっくりきます(勝手な想像ですが)。
かなり珍しい姓で、ほかに会ったことがなく、名前検索サイトなどでも引っ掛かったためしがありません。
嘘か本当かわかりませんが、母から聞いた話だと、「藩主のために矢をつがえる人」とかそんな意味合いがあるとか何とか。

世が世ならば私は武家の姫君……なんてことはありません。世が世ならば、祖母と結婚していないからです。
祖母は大きくは無い商家の娘。ちょっとはっきり覚えていないのですが、8人兄弟だったでしょうか。
あまり裕福とは言えなかったようで、看護師をしていたそうです。
祖父とはお見合いで、看護師であることが気に入られて結婚に至ったそうです。

祖父は祖母と出会った頃、洋裁店みたいなことをしていたそうです。
なぜ武家の直系の息子がそんなことができるのかが謎なのですが、手先が器用だったようで、それなりに繁盛していたらしく、裕福とは言えないまでもそこそこの暮らしをしていたとか。
白黒の遺影しか見たことがありませんが、割と彫が深めのけっこうイケメン(笑)。
人望もあったようなのですが、人が良く、友人の借金の保証人になり、友人に逃げられた後亡くなり(亡くなり方が若干オカルトなのですが、直接関係ないので割愛します)、その後は一気に貧乏生活で大変だったそうです。
今と当時は制度が違うようなのですが、「半」生活保護みたいな状態になったこともあったとか。
でも、祖父にお世話になったと言う人たちがいろいろ助けてくれてなんとかなっていたそうです。
祖母も、祖父はとても優しかったし、あの当時でも手を上げられるようなことは1度も無かったと言います。

余談ですが、母は戦後生まれだけど伯母と伯父は戦中生まれ。
戦時中は壮年期だったはずの祖父ですが、なぜか戦争に行っていないそうです。そのあたりも謎なのですが、もしかすると軍服とかも作っていたのでしょうか。それとも、家柄が良かったから権力的なものの影響でしょうか(私の勝手な想像です)。
父方の祖父も戦争に行っていないのですが、それは体が弱かったからとか。

祖母は4人の子を抱えてがむしゃらに働いたようです。
御葬式で初めて知ったのですが、某企業に務め、女性ながら支部長まで務めていたとか。女性が働くことが珍しい時代に、驚くべきことです。
一番上の伯母は、できが良かったそうですが家計のために中卒で働き(当時では珍しくなかったようですが)、伯父は男の子だからと言う理由で進学。
家のことは母と叔母に任され、まだ中学生くらいだったものの、祖母が仕事から帰ってきたときに夕食ができていなかったり洗濯物が片付いていなかったりしたら、箒で叩かれることもあったとか。
確かに厳しいところもあった祖母ですが、そんな姿は想像できません。
女性が働くのが珍しかった時代ですから、相当なストレスにさらされていたことは想像に難くありません。
私が産まれたときは、祖母はすでに65歳を超えて隠居生活をしていたので、働いている祖母の姿を見たことが無いのが少し残念です。

母はあまり丈夫ではなく、病気で入院するたびに、高齢の祖母が私たち兄妹の世話の為に来てくれていました。
そういう意味でとても恩義を感じています。祖母孝行したくて、働くようになってから何度か温泉に連れて行ったりもしました。
覚えていないくらい小さい頃のことですが、母が入院中、祖母の躾が厳しくて「ばあちゃん嫌い」と泣いたこともあったそうです。
祖母が間違ったことをしたとは思えないのですが、私も覚えていないので何とも言えず、そのことを笑い話のようにときどきされました。祖母にとっては印象深い出来事だったようです。
大きくなってからは決して嫌いではなくむしろ好きだったので、申しわけなく思っています。

とても元気で、90歳を超えても頭も足もしっかりした人でした。とはいえ90歳と言う高齢で心臓にはガタがきていたので、同居している伯父夫婦に家事はほぼ丸投げ状態。
しかしその頃、同居していた伯父のお嫁さんが病気を発症。
伯父夫婦には車いす生活の1人娘がいる状態なので、両方の世話は無理。さすがに90歳を超えて心臓に持病を抱えた祖母の一人暮らしも無理。
と言うことになり、祖母は元気なのにグループホームに入ることになりました。
うちで引き取りたいと母が言ったようなのですが、父が拒否。
それを理由に、私も将来父が1人になったときは引き取り拒否する所存です。嫁の親は引き取らなかったくせに、自分は娘夫婦に世話になろうなんてダブルスタンダードは許しません。

元気なのにグループホームと言うストレスからか、たびたびホームで問題を起こし、何度か転園を余儀なくされました。
何でもできるのに、できない人と一緒にされると言うのが我慢ならなかったのではないかと……。グループホームからしたら迷惑以外の何物でもありませんが。
しかし、刺激のないホーム生活で段々と痴呆が進んでいきました。
昨年11月に会いに行ったときは、私の顔はわかっても名前は出てこない状態でした。
それでも、会話は普通にできていたし、まだまだ大丈夫かなと思っていました。

しかし、グループホームに入ったころから、
「早くお迎えが来ないかしら」
が口癖になっていました。あれは気を引きたいためとかではなく、本気でそう言っていたと思います。
「お父さん(私から見たら祖父のこと)が自分の顔をわからなくなる前に来てほしい」
と。
叔母は、
「お父さんはもうあてにならん。50年以上迎えに来ないんだから、あっちで若い女でも捕まえてるに違いない(そんなシステムがあるかどうかは知りませんが……)。じいちゃん(祖母の父)に頼もう」
とか言ってました。

昨年末、インフルエンザだか肺炎だかで入院することになったとき、ああそろそろかなと思っていました。
要介護状態も入院して1から4に一気に進み、あまり言葉も発さず、孫はおろか子供の名前すら出てこない状態だったそうです。
それでも年末に病院で98歳の誕生日を迎え、無事に年を越し、そろそろ退院してもいいかな、という状態まで回復していました。数え年で99歳になるので、白寿と退院のお祝いを一緒にしようと計画をしていたそうです。
亡くなる前日、母と叔母がお見舞いに行き、1日ずっと話しかけていたら、母と叔母の顔と名前はわかるくらいになり、また来るからね、と握手を交わし、食事も綺麗に平らげ、
「まだまだ大丈夫ですよ」
と看護師さんに笑われた日の夜、自発呼吸ができなくなり、そのまま息を引き取った、と。
母と叔母が来るのを待っていたのかもしれません。
亡くなる少し前に元気になると言う話はよく聞きますが、こういうことを指すのでしょうか。

日本人の死因第一位の悪性新生物でも、第二位の心疾患でも、第三位の脳血管疾患でもなく、老衰で亡くなった祖母は、幸せな人生だったのではないでしょうか。本人は早くお迎えに来てほしくて仕方なかったようなので、本人はそう思ってない可能性が高いですが。
若いころ苦労した分、老後の楽な時間を長くしてもらって、子供や孫やひ孫に恵まれて長生きしたのだから、あまり不幸だとは思いません。
年齢も年齢だし、本人も早く早くと言っていたし、やっとお迎えに来てもらえたんだね、祖父に会えたかな……と言うのが、私の最初の感想でした。
若い人だとやっぱり悲しいしもったいないと思うけど、もう十分長生きしたと思うので。
火葬場で、隣の部屋に飾ってあった写真が若い男性で、どう見ても30歳前。良く似た妹と思われる高校生くらいの女の子が泣き崩れていたのを見ると、いたたまれませんでした。
ああいうのは、他者から見ても辛いです。

祖母の死に顔は、化粧のせいかとても綺麗でした。起き上って来てもおかしくないくらい。
ちゃんと死に顔も見たし、お別れもしたし、お骨も拾ったのに、今でもグループホームに行けば祖母に会えるような気がするのが不思議です。
しかし、好物のうなぎをもう1回食べさせたかったなとか、甘い物を差し入れてあげたかったなとかも考えてしまいます。
11月に、大好きな和菓子を差し入れたのが最後でしたので。

御葬式では、やっぱり泣いてしまって、あんまり言葉をかけてあげられなかったな。
もっとちゃんとお礼を言えば良かった。
どこで言えば祖母にちゃんと伝わるんだろう。お骨を納めてる納骨堂かな。位牌のある仏壇でもいいのかしら。
いつか自分が死にかける様なことがあったら、三途の川の向こうから祖母に
「戻りなさい。まだ来ちゃダメ」
と言われてみたいです。

まあでも、今1番伝えたいのは、「長いことお疲れ様」と「ありがとう」かな。
49日とか初盆とかで、ちゃんと伝えられたらと思います。

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